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愛宕(あたご)神社跡

長い一直線の階段が消えてしまった?


森下には、青梅線をまたがる陸橋が2つあります。そのうちの西の方の陸橋を渡り、沢(昔は「豊ノ川」と呼ばれていたそうです)の東側の道を山へと登っていくと、開けた場所に出ます。そこが、かつて愛宕(あたご)神社があった場所です。位置的に言えば、青梅坂の西の山、雷電山の祠(ほこら)ミイラ様跡の少し下の方になります。
戦後の昭和27年(1952)に、同じ町内の熊野神社に合祀されることになり、移転。現在は、社殿があった場所に、遷座のことを記した石碑が残されているのみです。
ところで、江戸時代に記された文献『杣保志(そまほし)』(青梅市史史料集第四十七号/青梅市教育委員会発行)には「愛宕権現」の記録があり、そこには「麓ヨリ石階直道ニテ階級二百五十計」(麓から真っ直ぐの石の階段があって、その段数は250段ばかり)といった記述があります。また、天保5年(1834)に刊行された『御嶽菅笠(みたけすげがさ)』でも、直線の階段が確かに描かれています(下図参照)。
『杣保志』の記述は実地踏査の上で書き留められた、とても信頼度の高いものとされていますし、また、『御嶽菅笠』の絵も詳細に描かれていることで定評があるのですが、いま、現地周辺を見回しても、石段らしきものは、社殿跡のすぐ下に一段、古い石の段があるだけで、あとはどうも見当たらないのです。
永山エリアの、ちょっとしたミステリーです。









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