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青梅坂峠と叢雨(むらさめ)橋

青梅と黒沢とを結ぶ要路


「青梅縞(おうめじま)」が全国ブランドとして売られ、活況を呈していた江戸時代、青梅宿と青梅の北隣りの小曽木村黒沢とを結ぶ連絡路が「青梅坂(おうめざか)」と呼ばれる峠道でした。青梅宿で青梅縞が取り引きされる市日(いちび)の直前になると、黒沢方面の村々を巡り、そこで織られた反物を受け取ってくる「ツボ回り」と呼ばれた人々が足繁く通ったそうです。
明治になって、江戸が東京に変わって以降も、この道は重要な通路とされ、「府道」に指定されていました。現在も沿道には、「東京府」と記された石柱がいくつか残っています。
長い期間にわたって、青梅と黒沢を結ぶ要路であった青梅坂峠ですが、昭和52年(1977)に青梅坂トンネルが開通した後は、この峠道を歩いて通る人はいなくなりました。
さて、永山の林間道路で、青梅坂の峠を渡るために作られたのが「叢雨(むらさめ)橋」です。その名は、この地の地名とも言われていますが、それ以前に、梅岩寺に滞在したこともあるとの言い伝えが残る歌人の寂蓮(じゃくれん)法師(1139?-1202)と関わりがあるかも知れないという説があります。
『新古今和歌集』(巻五 秋下)に寂蓮の歌があります。

 「村雨の 露も未だ干ぬ 槇の葉に 霧立ち昇る 秋の夕暮れ」(小倉百人一首 87番)

出家した寂連は、美しい土地の自然を題材に多くの歌を詠んだ人ですが、青梅でこの歌を詠んだとしても、不思議ではありません。







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